認知症薬を飲まない方がいいって本当?医師が解説する効果・副作用と判断基準
認知症と診断された時、「薬は本当に必要なのだろうか?」「飲まない方がいいって聞いたけど、本当?」と、ご本人やご家族が疑問や不安を感じることは少なくありません。認知症薬には期待される効果がある一方で、副作用のリスクも伴います。また、認知症のタイプや進行度、ご本人の状況によっては、薬の効果が限定的であったり、他のケアの方が重要だったりする場合もあります。
この記事では、認知症の薬について、その種類や期待される効果、そして「飲まない」という選択肢も含めて、どのような場合に薬を検討するのか、そして服用に関する判断のポイントを医師の視点から分かりやすく解説します。ご本人やご家族が、認知症薬について正しく理解し、納得して治療を選択するための一助となれば幸いです。
厚生労働省が推進する認知症施策の基本方針である新オレンジプランでも、認知症の人や家族の意思が尊重され、住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる社会の実現を目指しており、治療選択においてもご本人やご家族の意向が重視されています。
認知症薬の基本的な知識
認知症の治療薬は、現在、主にアルツハイマー型認知症を中心にいくつかの種類が使われています。認知症診療ガイドライン2024によれば、これらの薬は、認知症そのものを完治させるものではありませんが、症状の進行を緩やかにしたり、一部の症状を和らげたりすることを目的としています。
認知症薬の種類と作用機序
現在、日本で保険適用となっている認知症薬は主に以下の4種類です。
- ドネペジル塩酸塩(商品名:アリセプトなど)
- ガランタミン(商品名:レミニールなど)
- リバスチグミン(商品名:イクセロンパッチ、リバスタッチパッチなど – 貼り薬)
- メマンチン塩酸塩(商品名:メマリーなど)
これらの薬は、脳内で不足しがちな神経伝達物質の働きを調整したり、神経細胞の障害に関わる物質の作用を抑えたりすることで効果を発揮します。
- コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)
- 脳内の神経伝達物質であるアセチルコリンは、記憶や学習に関わっています。アルツハイマー型認知症では、このアセチルコリンが減少することが分かっています。
- これらの薬は、アセチルコリンを分解する酵素(コリンエステラーゼ)の働きを阻害することで、脳内のアセチルコリンの量を増やし、神経細胞間の情報伝達をスムーズにすることを狙います。
- 主にアルツハイマー型認知症に使われますが、レビー小体型認知症や一部の脳血管性認知症にも保険適用があります(薬剤によって異なります)。
- NMDA受容体拮抗薬(メマンチン)
- 脳内の神経伝達物質であるグルタミン酸は、情報伝達に重要ですが、過剰になると神経細胞を傷つける可能性があります。
- この薬は、グルタミン酸が過剰に作用するのを抑えることで、神経細胞を保護し、認知機能の低下を緩やかにすることを狙います。
- 主に中等度から高度のアルツハイマー型認知症に使われます。上記のコリンエステラーゼ阻害薬と併用することも可能です。
どの薬を選択するかは、認知症の種類や進行度、患者さんの状態、他の病気や服用中の薬などを考慮して医師が判断します。
認知症薬に期待される効果(認知機能、BPSD)
認知症薬に期待される効果は、主に以下の2つです。
- 認知機能への効果:
- 記憶障害、見当識障害(時間や場所が分からなくなる)、判断力や実行機能(計画・実行する能力)の低下といった、いわゆる「中核症状」の進行を一時的に緩やかにする効果が期待されます。
- ただし、これらの薬は、劇的に認知機能が回復したり、病気が治ったりするわけではありません。あくまで、症状の進行スピードを遅らせたり、現在の状態を維持できる期間を数ヶ月から1年程度延ばしたりすることが主な目的となります。
- 効果の現れ方には個人差が大きく、服用しても明らかな効果が見られない場合もあります。効果が出るまでに数週間から数ヶ月かかることもあります。
- BPSD(行動・心理症状)への効果:
- BPSDとは、周辺症状とも呼ばれ、認知機能の低下に伴って現れる様々な行動や心理状態のことです。例えば、意欲低下、アパシー(無関心)、不穏、興奮、攻撃性、幻覚、妄想、徘徊、睡眠障害などがあります。
- 認知症薬は、これらのBPSDの一部に対しても効果が期待される場合があります。
- コリンエステラーゼ阻害薬は、意欲低下やアパシーに効果を示すことがあります。レビー小体型認知症の方の幻視にも効果が期待されることがあります(リバスチグミンなど)。
- メマンチンは、不穏、興奮、攻撃性、幻覚、妄想といったBPSDに対して効果が期待されることがあります。
- ただし、BPSDは薬だけで解決できるものではなく、生活環境の調整やケア方法の工夫といった非薬物療法も非常に重要です。
これらの効果は、全ての方に同じように現れるわけではなく、個人差が大きいことを理解しておく必要があります。
「飲まない」という選択肢とその背景
認知症と診断されたら、必ず薬を飲まなければならないのでしょうか? 結論から言うと、必ずしもそうではありません。「飲まない」という選択肢も存在し、それがご本人にとって最善である場合もあります。
服用が必須ではない理由
認知症薬の服用が必須ではない、あるいは推奨されないのは、以下のようなケースが考えられるからです。
- 病気の種類によっては効果が期待できない: 例えば、前頭側頭型認知症など、アルツハイマー型認知症以外のタイプの認知症には、現在保険適用となっている薬で効果が期待できない場合があります。
- 進行度によっては効果が限定的: ごく軽度の場合、薬の効果がほとんど見られず、副作用のリスクや服薬の手間といったデメリットの方が大きくなる可能性があります。逆に、非常に進行した末期の場合も、薬の効果が乏しくなっていることがあります。
- 副作用のリスクが高い、あるいは副作用が強く出る: 他の病気や服用中の薬との相互作用で、副作用が出やすかったり、強く出たりすることがあります。副作用によってかえって体調が悪化したり、QOL(生活の質)が低下したりする場合は、無理に続ける必要はありません。
- ご本人が強く拒否する: 認知症の方本人が、薬を飲むことの意味を理解できた上で、あるいは感覚的に薬を飲むことを強く拒否する場合、無理強いすることは精神的な負担をかけ、かえって症状を悪化させる可能性があります。ご本人の意思を尊重し、QOLを損なわないことも重要です。
- 他の病気や薬との兼ね合い: 重い心臓病や消化器系の病気がある場合、あるいは多数の薬を服用している場合など、認知症薬の服用が既存の病状を悪化させたり、薬物相互作用を引き起こしたりするリスクがある場合があります。
- 薬の効果に比べて、服薬の手間や経済的負担が大きい: 薬の効果が限定的であると予想される場合、毎日薬を飲むという手間、定期的な受診の負担、薬代といった経済的な負担を考慮し、他のケア方法を優先することもあります。
このように、医学的な理由だけでなく、ご本人の状態、意思、生活状況、家族の状況など、様々な要因を考慮して、薬を飲むかどうかを判断する必要があります。
非薬物療法など、薬以外の選択肢
認知症のケアは、薬物療法だけではありません。むしろ、生活環境の調整やコミュニケーションの方法、リハビリテーションといった「非薬物療法」が非常に大きな役割を果たします。認知症薬を服用しない、あるいは服用していても、これらの非薬物療法を積極的に取り入れることが重要です。薬物療法開始前の包括的アセスメントや、治療効果判定のための評価指標については、国立長寿医療研究センターが開発した認知症ケアパス標準テキストで体系化されています。
非薬物療法の例:
- 環境調整: ご本人が安心して過ごせるように、住み慣れた環境を整える。危険なものを片付ける、分かりやすい表示をする、日中の明るさや夜間の静けさを保つなど。
- コミュニケーションの工夫: 穏やかな声でゆっくり話す、簡単な言葉で伝える、否定しない、共感する、傾聴するなど。
- 生活リズムの調整: 規則正しい生活を送り、日中に適度な活動を取り入れて、夜間ぐっすり眠れるように促す。
- リハビリテーション:
- 運動療法: 散歩や軽い体操など。身体機能の維持・向上だけでなく、気分転換や睡眠の質の改善にもつながります。
- 作業療法: 料理や掃除、趣味活動など、目的を持った活動を行う。残存能力を活用し、達成感や自信を取り戻すことにつながります。
- 回想法: 昔の出来事を語り合ったり、思い出の品を見たりする。過去の経験を通じて自己肯定感を高め、脳を活性化します。
- 音楽療法: 音楽を聴いたり歌ったりする。リラックス効果や情動の安定、コミュニケーションの促進に有効です。
- 園芸療法: 植物に触れ、育てる活動。五感を刺激し、心身のリフレッシュにつながります。
- 栄養管理・水分補給: バランスの取れた食事と十分な水分摂取は、全身の健康を保ち、便秘や脱水といった症状悪化の原因を防ぎます。
- 介護サービスの活用: デイサービスやデイケア、ショートステイ、訪問介護、訪問看護、地域包括支援センターなど、様々な介護保険サービスを利用する。ご本人の社会参加を促したり、専門的なケアを受けたり、ご家族の介護負担を軽減したりすることができます。
これらの非薬物療法は、認知機能そのものに直接作用するわけではありませんが、ご本人の安心や意欲を引き出し、BPSDを軽減し、結果的にQOLを維持・向上させる上で非常に重要です。多くの場合、薬物療法と非薬物療法を組み合わせて行うことが、最も効果的なケアにつながります。
認知症薬のメリットとデメリット(副作用に焦点を当てる)
薬を飲むかどうかを判断するためには、期待できるメリットだけでなく、知っておくべきデメリット、特に副作用について正しく理解しておく必要があります。
服用によって得られる可能性のあるメリット
- 認知機能の維持・進行の緩徐化: アルツハイマー型認知症などにおいて、病気の進行スピードを数ヶ月から1年程度遅らせる効果が期待されます。これにより、ご本人が自宅で自立した生活を送れる期間が延びたり、家族とのコミュニケーションがより長く保たれたりする可能性があります。
- BPSDの軽減: 意欲低下、アパシー、不穏、興奮、幻覚、妄想などの行動・心理症状が和らぐことで、ご本人の苦痛が軽減されたり、ご家族の介護負担が軽くなったりすることがあります。
- 病状の安定: 薬によって症状が比較的安定することで、ご本人やご家族が先の見通しを持ちやすくなり、心理的な安定につながることもあります。
知っておくべき副作用とその対応
認知症薬には、残念ながらいくつかの副作用があります。副作用の種類や出やすさは、薬の種類や量、患者さんの体質や他の病気、服用中の薬によって異なります。主な副作用と、その対応について解説します。
薬剤の分類 | 主な薬剤名(商品名) | 期待される主な効果(一般論) | 知っておくべき主な副作用(頻度が高いもの、注意が必要なもの) | 副作用への対応(例) |
---|---|---|---|---|
コリンエステラーゼ阻害薬 | ドネペジル塩酸塩(アリセプトなど) | 認知機能(記憶、見当識など)、意欲低下、アパシー | 消化器症状(吐き気、嘔吐、下痢、食欲不振): 比較的頻繁。 循環器系(徐脈、めまい、ふらつき) 精神神経症状(興奮、不穏、幻覚、悪夢 – 特に初期) その他(頭痛、倦怠感など) |
少量の薬から開始し、徐々に増量する。食事と一緒に服用する。症状に応じて減量または中止を検討。吐き気止めや整腸剤を併用。めまいやふらつきがあれば転倒に注意。精神症状が強ければ医師に相談。 |
ガランタミン(レミニールなど) | 認知機能、意欲低下、アパシー | ドネペジルと同様に消化器症状、循環器系、精神神経症状。 | ドネペジルと同様の対応。 | |
リバスチグミン(イクセロンパッチ、リバスタッチパッチ – 貼り薬) | 認知機能、意欲低下、アパシー | 皮膚症状(貼った場所のかゆみ、赤み、かぶれ): 貼り薬のため。 ドネペジルと同様に消化器症状、循環器系、精神神経症状。 振戦(手の震えなど、パーキンソン症状に似た動き) ※レビー小体型認知症にも使われるため、消化器症状や精神症状が出やすい場合がある |
貼る場所を毎日変える。皮膚症状が強い場合は医師に相談。消化器症状などはドネペジルと同様の対応。振戦が出た場合は医師に相談。 | |
NMDA受容体拮抗薬 | メマンチン塩酸塩(メマリーなど) | BPSD(不穏、興奮、幻覚、妄想)、認知機能の維持 | めまい、ふらつき(服用初期に見られやすい) 便秘、傾眠(眠気) まれに幻覚、興奮、攻撃性 |
少量の薬から開始し、徐々に増量する。めまいやふらつきがあれば転倒に注意。便秘には水分補給や食物繊維、便秘薬。精神症状が出た場合は医師に相談。 |
副作用が出た場合の重要な対応:
- 自己判断で薬を中止しない: 副作用かどうかの判断や、適切な対処法は医師にしかできません。勝手に中止すると、かえって体調を崩したり、症状が不安定になったりする可能性があります。
- 症状を正確に医師・薬剤師に伝える: いつから、どのような症状が出ているか、その症状によってご本人の様子や生活がどう変わったかなどを詳しく伝えましょう。可能であれば、メモを取っておくと良いでしょう。
- 医師の指示に従う: 医師は、副作用の可能性、程度、ご本人の全身状態などを考慮して、減量、服用中止、他の薬への変更など、最も適切な対応を指示します。
副作用のリスクを過度に恐れる必要はありませんが、どのような副作用がありうるのかを知っておき、もし症状が現れたらすぐに専門家に相談することが重要です。高齢者の薬物療法については、日本老年医学会が高齢者薬物療法の留意点として詳細を示しており、特に多剤併用や腎機能に応じた用量調整の重要性が述べられています。
認知症薬の服用に関する重要な判断基準
認知症薬を飲むかどうか、そしてどの薬を飲むかを判断する際には、様々な要素を総合的に考慮する必要があります。ここでは、特に重要な判断基準をいくつかご紹介します。
患者さんの病状・進行度
まず最も重要なのは、認知症の原因となっている病気の種類と、その進行度です。
- 診断名:
- アルツハイマー型認知症: 現在使われている多くの認知症薬が効果を期待できる対象です。
- レビー小体型認知症: 一部のコリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、リバスチグミンなど)が、認知機能だけでなく、幻視やパーキンソン症状(手足の震えやこわばり)にも効果を示す可能性があります。
- 脳血管性認知症: 病変のタイプや症状によっては、コリンエステラーゼ阻害薬などが使われることがありますが、効果が限定的な場合もあります。
- 前頭側頭型認知症: 現在のところ、上記の薬で効果が期待できる確たるエビデンスはなく、推奨されていません。
- 進行度:
- 一般的に、認知症薬の効果は軽度から中等度の時期に最も期待しやすいとされています。
- メマンチンは中等度から高度の時期にも効果が期待されます。
- ごく軽度の場合や、非常に進行が進んだ末期の場合には、薬の効果が限定的となることが多く、副作用のリスクや他のケアとのバランスを考慮する必要があります。
医師は、これらの診断と進行度を、神経心理検査の結果や画像検査(MRI、CTなど)の情報、ご本人やご家族からの話などを総合して判断し、薬の適応や種類を検討します。
ご本人・ご家族の意向とQOL
医療的な判断だけでなく、ご本人とご家族の意向や、服薬によって生活の質(QOL)がどう変わるかといった視点も非常に重要です。
- ご本人の意向: ご本人が薬を飲むことの意味を理解できる状態であれば、薬の目的や期待できる効果、起こりうる副作用などについて丁寧に説明し、本人の意思を確認することが大切です。薬を強く拒否する場合は、その理由に耳を傾け、無理強いせず、他のケア方法を優先することも検討します。たとえ意思表示が難しくても、ご本人が薬を飲むことによって不快な思いをしないか、負担にならないかといった視点も大切ですです。
- ご家族の意向と介護負担: ご家族が、薬に対してどのような期待や不安を持っているかを聞き取ります。薬の効果によって、ご本人の様子が穏やかになったり、介護の手間が減ったりといった変化は、ご家族の介護負担に大きく影響します。介護する側とされる側、双方にとってのQOL向上を目指す視点が重要です。
- QOL(生活の質)の総合的な評価: 薬を飲むことによるメリット(症状の緩和・進行の緩徐化)と、デメリット(副作用による体調不良、毎日薬を飲む手間、経済的な負担、定期的な受診など)を天秤にかけます。医学的な効果だけでなく、ご本人がより穏やかに、より自分らしく生活できるか、そしてご家族が介護を続けやすくなるか、といった総合的な視点から判断します。薬の効果が乏しいにも関わらず、副作用で苦しんだり、薬を飲むこと自体が大きな負担になったりするのであれば、「飲まない」という選択肢も十分にあり得ます。
医師・薬剤師との十分なコミュニケーション
認知症薬の服用は、ご本人やご家族だけで判断するべきことではありません。必ず専門家である医師や薬剤師と十分に話し合い、納得した上で決定することが非常に重要です。
- 医師とのコミュニケーション:
- 認知症の診断名や、現在の病状・進行度について、分かりやすく説明してもらいましょう。
- 提案された薬について、「なぜこの薬なのか」「どのような効果が期待できるのか」「効果が出るまでどのくらいの期間がかかるのか」「どのような副作用があるのか」といった疑問点を遠慮なく質問しましょう。
- ご本人やご家族が、現在の生活で特に困っていること(物忘れ、幻覚、徘徊など)や、治療に期待することを具体的に伝えましょう。これにより、医師は薬の選択やケアプランをより適切に検討できます。
- 薬を開始した後も、効果や副作用について定期的に報告し、必要に応じて薬の種類や量を調整してもらいましょう。
- 薬以外のケア方法(非薬物療法)についても積極的に尋ね、全体のケアプランの中で薬がどのように位置づけられるのかを確認しましょう。
- もし説明に納得できない、あるいは他の専門家の意見も聞きたい場合は、セカンドオピニオンについても相談してみましょう。
- 薬剤師とのコミュニケーション:
- 薬局で薬を受け取る際も、薬剤師に積極的に相談しましょう。
- 薬の正しい飲み方(いつ、どれくらい飲むか、水で飲むかなど)、保管方法、飲み忘れた場合の対応などを確認しましょう。
- 現在服用している他の薬やサプリメント、健康食品などがあれば全て伝え、認知症薬との飲み合わせに問題がないか確認してもらいましょう。これは非常に重要です。
- 起こりうる副作用について、具体的な症状や、もし出たらどうすれば良いかを詳しく聞いておきましょう。
医師や薬剤師は、多くの知識と経験を持った専門家です。彼らとの信頼関係を築き、積極的に情報交換を行うことで、ご本人にとって最善の治療法やケア方法を選択することができます。
認知症薬と症状の急激な変化
認知症の症状が急に悪化したように見えるとき、「薬のせいではないか?」と心配になることがあるかもしれません。確かに、薬が症状の変化に関与する可能性もありますが、それ以外の原因であることも非常に多いです。
薬が症状悪化に関与する可能性について
- 賦活症候群: 特にコリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジルなど)を飲み始めた初期や増量した際に、一時的に脳が活性化されすぎた結果として、興奮、不穏、幻覚、妄想などのBPSDが強く現れることがあります。これは通常、数週間で落ち着くことが多いですが、症状がひどい場合は減量や中止を検討する必要があります。
- 副作用による体調不良: 薬の副作用(吐き気、めまい、倦怠感など)によって体調が悪くなり、その結果として活動性が低下したり、認知機能が一時的に低下したように見えたりすることがあります。
- 薬物相互作用: 認知症薬と、ご本人が服用している他の薬との間に相互作用が起こり、予期しない副作用が出たり、薬の効果が不安定になったりすることがあります。
- 不適切な薬の選択/量: 認知症のタイプに合わない薬を使ったり、量が多すぎたりした場合に、かえって症状が悪化したり、副作用が出やすくなったりすることがあります。
ただし、薬を飲んでいる時期に症状が急に悪化しても、必ずしも薬が原因とは限りません。他の原因をきちんと見極めることが非常に重要です。
薬以外の認知症が一気に進む原因
認知症の症状が急激に悪化した場合、最も注意すべきは、認知症そのものの進行ではなく、他の病気や環境の変化による「せん妄」や「抑うつ」、あるいは併存疾患の悪化などが原因である可能性です。これらの原因は適切に対処すれば改善することが多いため、見逃さないことが大切ですです。
薬以外の、認知症が一気に進んだように見える主な原因:
- せん妄: 意識が混濁したり、注意力が散漫になったりする急性の脳機能障害です。見当識障害が悪化したり、幻覚、妄想、興奮、不穏、昼夜逆転などが突然現れたりします。せん妄の原因として特に多いのは、
- 感染症: 肺炎、尿路感染症、インフルエンザなど。発熱や体のだるさとともに急に症状が悪化することがあります。
- 脱水: 水分摂取が不足したり、下痢や嘔吐で水分が失われたりした場合。
- 便秘: 重度の便秘がせん妄を引き起こすことがあります。
- 疼痛: 体のどこかに強い痛みがある場合。
- 環境の変化: 入院、施設入所、引っ越しなど、慣れない環境に置かれた場合。
- 睡眠不足: 睡眠薬の使いすぎや、夜間せん妄で眠れない日が続いた場合。
- 特定の薬剤: 睡眠薬、抗精神病薬、風邪薬、胃薬など、一部の薬がせん妄の原因となることがあります。
- 抑うつ: 気分が落ち込み、意欲がなくなり、何もする気が起きなくなる状態です。物忘れや活動性の低下が目立つようになり、認知症と間違われやすいことがあります(仮性認知症)。うつ病の治療で改善することがあります。
- 併存疾患の悪化: 高齢者は様々な病気を抱えていることが多いですが、心不全、呼吸不全、腎不全、糖尿病、貧血、甲状腺機能異常などが悪化すると、脳の血流や酸素供給が悪くなり、認知機能が一時的に低下することがあります。
- 栄養障害: 食事が十分に摂れず、栄養状態が悪化すると、全身の衰弱とともに認知機能も低下することがあります。
認知症の方の症状が普段と比べて急におかしくなったと感じたら、「年のせい」「認知症が進んだ」と自己判断せず、まずはすぐに医療機関を受診してください。これらの「隠れた原因」を見つけ出し、適切に治療することで、症状が改善する可能性が十分にあります。
認知症は薬で「治る」のか?
認知症の薬を服用する上で、最も重要な理解の一つは「現在の薬で認知症そのものが治るわけではない」という点です。しかし、一部には原因を治療することで「治る」認知症も存在します。
現在の認知症薬の限界(対症療法)
アルツハイマー型認知症のように、脳の神経細胞が徐々に壊れていくタイプの認知症(変性性認知症)は、現在の医療では完全に止めることも、失われた神経細胞を元に戻すこともできません。
現在使われている認知症薬は、あくまでも対症療法薬です。つまり、病気の根本原因を取り除くのではなく、現れている症状を一時的に緩和したり、進行を緩やかにしたりすることを目的としています。例えるなら、風邪の時に熱を下げる解熱剤や、咳を鎮める咳止めのようなものです。病気そのものを治すわけではありませんが、つらい症状を和らげて、本人が少しでも楽に過ごせるように助ける薬と言えます。
現在、アルツハイマー病の原因物質(アミロイドβなど)を取り除くことで病気の進行を遅らせる可能性のある新しいタイプの薬(例:レカネマブ)が開発され、一部で使えるようになっていますが、これも全てのアルツハイマー病に使えるわけではなく、効果や副作用に注意が必要であり、病気を完全に治す薬ではありません。その他の変性性認知症に対しても、根本治療薬はまだ開発途上です。
このため、認知症薬に過度な期待を寄せすぎず、「症状を和らげ、進行を少し緩やかにする可能性のある薬」として理解し、非薬物療法を含めた総合的なケアの一環として位置づけることが重要です。
手術で治る認知症について
変性性認知症は現在のところ根治が難しいですが、一部の認知症は、原因となる病気を治療することで、認知機能障害が改善したり、回復したりすることがあります。これらは「治る認知症(可逆性認知症)」と呼ばれます。
治る認知症の代表的な例:
- 正常圧水頭症: 脳を保護している脳脊髄液の流れが悪くなり、脳室という場所に髄液が溜まりすぎて脳を圧迫する病気です。特徴的な症状として、歩行障害(足が上がりにくく、すり足になる)、尿失禁、そして認知機能障害の3つ(これを三徴候といいます)が見られます。日本外科学会が定める正常圧水頭症診療ガイドラインでは、手術適応基準や術後管理プロトコルが詳細に解説されていますが、多くの場合、シャント手術(脳室に溜まった髄液を、細いチューブを使って体の他の場所(お腹など)に流す手術)によって、症状が改善することが期待できます。
- 慢性硬膜下血腫: 頭をぶつけたりした後、脳の表面を覆っている硬膜の下にゆっくりと血(血腫)が溜まってくる病気です。血腫が脳を圧迫することで、頭痛、手足の麻痺、そして認知機能障害などが起こります。手術で血腫を取り除くことで、多くの場合症状が改善します。
- 脳腫瘍: 脳にできた腫瘍が、周囲の脳組織を圧迫したり破壊したりすることで、認知機能障害を含む様々な神経症状を引き起こします。腫瘍の種類や場所にもよりますが、手術や放射線治療、化学療法などによって腫瘍を取り除く、あるいは小さくすることで症状が改善する可能性があります。
その他、甲状腺機能低下症(ホルモン補充で改善)、ビタミンB12欠乏症(ビタミン補充で改善)、梅毒(抗生物質で改善)、脳炎など、原因を治療すれば症状が改善する認知症も存在します。
これらの「治る認知症」を見逃さないためにも、認知症かもしれないと思った時には、自己判断せず、必ず専門医のいる医療機関を受診し、正確な診断を受けることが何よりも大切です。丁寧な問診や神経心理検査に加え、頭部MRI/CT検査、血液検査などを行うことで、治る認知症の原因が見つかることがあります。原因が特定されれば、最も適切な治療法を選択することができます。
まとめ:認知症薬の服用は専門家と相談して決定を
「認知症薬は飲まない方がいい」という疑問に対する答えは、単純な「はい」や「いいえ」ではありません。認知症薬は、病気の種類や進行度、そしてご本人の状態によっては、症状の進行を緩やかにしたり、つらい周辺症状を和らげたりする効果が期待できます。しかし、効果には個人差があり、吐き気やめまい、興奮などの副作用が出現する可能性も伴います。
「飲まない」という選択肢も、副作用のリスクやご本人の意向、他の病気との兼ね合いなどを考慮した場合に、十分にあり得る選択肢です。また、薬物療法以上に、生活環境の調整やリハビリテーションといった非薬物療法がご本人やご家族のQOL向上に貢献することも少なくありません。
最も大切なのは、ご本人、ご家族、そして専門家である医師・薬剤師が、病気の状態、薬に期待できる効果と副作用、そしてご本人とご家族の意向や生活状況について、十分に話し合い、納得した上で、薬を服用するかどうか、どのようなケアを進めるかを一緒に決めることです。
もし、認知症薬について疑問や不安がある場合は、遠慮なく主治医や薬剤師に相談してください。ご本人の希望や、どのような状態になることを避けたいか、どのような生活を送りたいかなどを具体的に伝え、ご本人にとって最も良いと思える道を探していきましょう。
また、もし急に症状が悪化したように見えたら、それは認知症の進行だけでなく、せん妄や他の病気が原因である可能性も考えられます。自己判断せずに、速やかに医療機関を受診することが、症状改善のチャンスにつながります。
認知症の治療は、薬だけでなく、様々なアプローチがあります。正確な診断を受け、専門家と密に連携を取りながら、ご本人とご家族が安心して、そしてより良い生活を送れるように、共に進んでいくことが大切です。
免責事項:本記事は認知症薬に関する一般的な情報提供を目的としており、特定の薬剤の服用や中止を推奨するものではありません。個々の患者さんの病状、既往歴、合併症、併用薬、アレルギーの有無などによって、最適な治療法は異なります。必ず専門の医療機関で医師の診断を受け、医師の指示に従ってください。
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