軽度認知障害(MCI)の原因とは?|あなたの物忘れはなぜ起こる?

軽度認知障害(MCI)は、健常な状態と認知症の中間に位置する状態として知られています。
近年、早期発見や適切な対応によって認知症への進行を遅らせる、あるいは回復する可能性も示唆されており、注目が集まっています。
しかし、「軽度認知障害の原因は何か」「どんな症状が出たら気をつければ良いのか」といった疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。

この記事では、軽度認知障害の主な原因、具体的な症状、診断方法、そして今後の見通しや対策について詳しく解説します。
ご自身や大切なご家族の「いつもと違う」変化に気づかれた際の参考にしていただければ幸いです。

軽度認知障害の主な原因

軽度認知障害の原因は単一ではなく、様々な要因が複雑に関与していると考えられています。
最も一般的な原因は、アルツハイマー病の病理変化の始まりですが、それ以外にも多くの可能性が考えられます。
MCIの原因を特定することは、その後の進行リスクを評価したり、回復の可能性を探る上で非常に重要です。

アルツハイマー病との関連

軽度認知障害の中で最も多く見られるのが、アルツハイマー病が原因となっているケースです。
アルツハイマー病は、脳内に異常なたんぱく質であるアミロイドβやタウが蓄積することによって脳神経細胞が損傷し、機能が低下していく進行性の疾患です。
MCIの段階では、これらの病理変化が脳内で始まったばかりで、認知機能の低下はまだ軽度にとどまっています。

特に、記憶障害が主な症状である「健忘型MCI」は、アルツハイマー病との関連が強いと考えられています。
アルツハイマー病では、新しい記憶を司る脳の海馬という部位や、その周辺の側頭葉内側部から障害が始まることが多いためです。

MCIの段階でアルツハイマー病の病理がどの程度進んでいるかを、アミロイドPET検査やタウPET検査、あるいは脳脊髄液検査によって評価することが可能です。
これらの検査は、MCIの原因がアルツハイマー病である可能性が高いかどうかを判断するのに役立ち、将来的な認知症への進行リスクを予測する一助となります。
しかし、これらの検査は全てのMCIの方に行われるわけではなく、専門医が必要と判断した場合に行われます。

アルツハイマー病が原因のMCIは、残念ながら現時点では完全に治癒させる治療法は見つかっていません。
しかし、早期にMCIと診断され、アルツハイマー病の病理が関与していると判断された場合でも、その後の生活習慣の改善や、一部の薬物療法(MCIそのものに承認された薬ではないが、認知症薬の超早期投与の検討など)によって、進行を遅らせるための取り組みが期待されています。
早期に診断を受けることは、適切な対応策を立て、病気と向き合うための第一歩となります。

脳血管性認知症の原因となるもの

軽度認知障害の原因として、アルツハイマー病に次いで多いのが、脳血管障害に関連するものです。
脳血管障害とは、脳の血管が詰まったり(脳梗塞)、破れたり(脳出血)することによって、脳細胞への血流が滞り、その機能が障害される病気の総称です。

大きな脳梗塞や脳出血は、麻痺や言語障害などの明らかな症状を引き起こすことが多いですが、小さな脳梗塞(ラクナ梗塞など)や脳出血が多発したり、あるいは脳の白質という部分に慢性的な血流不足が生じたりすると、認知機能に徐々に影響を及ぼすことがあります。
このような血管性の病変が原因で生じる認知機能障害は、「脳血管性認知機能障害(VCID)」と呼ばれ、その軽い状態が脳血管性MCIと考えられます。

脳血管性MCIの場合、アルツハイマー病によるMCIのように記憶障害が前面に出ることもありますが、それ以外にも、以下のような認知機能の低下が目立つことがあります。

  • 実行機能障害: 目標を設定し、計画を立て、実行に移す能力が低下する。
    料理の手順が分からなくなる、複数の作業を同時にこなせないなど。
  • 注意障害: 集中力が続かない、気が散りやすい、一度に多くの情報を受け止められないなど。
  • 処理速度の低下: 考えたり、判断したりするスピードが遅くなる。
  • 意欲・自発性の低下: 何事にも億劫になり、自分から行動を起こさなくなる。

脳血管性MCIの危険因子は、高血圧、糖尿病、脂質異常症、喫煙、肥満、心房細動など、いわゆる生活習慣病と深く関連しています。
これらの危険因子を適切に管理・治療することは、新たな脳血管障害の発症を防ぎ、MCIの進行を予防するために極めて重要です。

脳血管性MCIの診断には、MRIやCTといった画像検査が非常に有効です。
これらの検査によって、脳梗塞や脳出血の痕跡、白質の変化などを確認することができます。
もし脳血管性の病変が原因と診断された場合、原因となった生活習慣病の治療を徹底することや、再発予防のための治療(例:抗血小板薬など)が、認知機能の維持や改善につながる可能性があります。

その他の要因(うつ病、栄養不足、薬剤など)

軽度認知障害の原因の中には、早期に発見・治療することで認知機能の改善が見込める、つまり「可逆性」のある原因も含まれています。
これらの原因を見逃さないためにも、詳細な検査と専門医による評価が重要になります。

うつ病:
高齢者のうつ病は、認知機能の低下として現れることがあります。
これを「仮性認知症」と呼ぶこともあります。
集中力の低下、意欲の低下、物忘れなどが目立ち、「認知症になったのではないか」と心配されることがありますが、これはうつ状態が原因で起こっている偽りの認知症様の症状です。
適切な抗うつ薬による治療や精神療法によってうつ状態が改善すれば、認知機能も回復する可能性があります。
うつ病はMCIの進行リスクを高めるという報告もあり、早期の診断と治療が大切です。

栄養不足:
特定のビタミンやミネラルが不足すると、認知機能に影響が出ることがあります。
特に、ビタミンB12や葉酸の不足は、記憶障害や精神症状を引き起こすことが知られています。
これらの栄養素の不足は、食生活の偏りや吸収不良などが原因で起こります。
血液検査で診断し、適切な栄養補給や治療を行うことで、認知機能の改善が期待できます。

薬剤:
服用している薬の種類や量によっては、認知機能に影響を与えることがあります。
特に高齢者では、複数の薬を服用していることが多く、薬の相互作用や体への影響が出やすい傾向があります。
認知機能に影響を与える可能性のある薬剤としては、以下のようなものがあります。

  • 抗コリン作用を持つ薬(一部の風邪薬、アレルギー薬、胃腸薬、精神科薬など)
  • 睡眠導入剤、精神安定剤
  • 一部の降圧剤や心臓の薬

これらの薬剤が原因で認知機能が低下している場合、医師と相談しながら薬の種類を変更したり、量を調整したりすることで改善が見られることがあります。
自己判断で薬の服用をやめたり、変更したりすることは危険ですので、必ず医師に相談しましょう。

その他の可逆性のある原因:

  • 内分泌疾患: 甲状腺機能低下症や高カルシウム血症など。
    ホルモンバランスの異常が認知機能に影響します。
  • 感染症: 慢性的な尿路感染症や肺炎、神経梅毒、HIV感染など。
    感染症が全身状態や脳機能に影響を及ぼすことがあります。
  • 正常圧水頭症: 脳室に脳脊髄液が異常に溜まる病気で、認知機能障害、歩行障害、尿失禁が特徴的な症状です。
    シャント手術により症状が改善する可能性があります。
  • 慢性硬膜下血腫: 頭部外傷後などに、脳を覆う膜の下にゆっくりと血液が溜まる状態です。
    脳が圧迫され、認知機能障害やその他の神経症状が出現します。
    手術で血腫を取り除くことで改善が見込めます。
  • 睡眠障害: 睡眠時無呼吸症候群や不眠症など、睡眠の質や量が著しく低下すると、日中の眠気や集中力低下、記憶力低下につながることがあります。
    適切な治療により改善が期待できます。

このように、軽度認知障害の原因は多岐にわたります。
特に可逆性のある原因は、早期に特定し治療することで症状が改善する可能性があるため、丁寧な問診や各種検査を通じて原因を特定することが非常に重要です。

軽度認知障害の初期症状

軽度認知障害の症状は、認知症ほどはっきりしていませんが、本人や周囲の人が「いつもと違う」と感じる微妙な変化として現れることが多いです。
正常な加齢による物忘れとの違いを理解することが、MCIの早期発見につながります。

記憶に関する症状

MCIで最も一般的で、本人や家族が気づきやすい症状は記憶障害です。
特に、新しい情報を記憶する能力の低下が特徴的です。

  • ついさっきの出来事を忘れる: 直前に話した内容を忘れて、同じ話を何度も繰り返したり、同じ質問を何度も尋ねたりします。
    「あれ、さっき言ったっけ?」というレベルではなく、話したこと自体を忘れてしまうことがあります。
  • 約束や予定を忘れる: 近い将来の約束や、決まっていた予定を忘れてしまいます。
    カレンダーに書き込んだり、アラームを設定したりしても忘れてしまうこともあります。
  • 物の置き場所を忘れる: 大切な物(鍵、財布、メガネなど)を頻繁に置き忘れたり、いつもとは違う場所に置いてしまい、見つけられなくなったりします。
  • 体験そのものを忘れる: 旅行に行ったこと、食事をしたことなど、体験したこと全体を忘れてしまうことがあります。
    正常な物忘れは「旅行で見たものの一部」を忘れる程度ですが、MCIでは「旅行に行ったこと」自体を忘れてしまう傾向が見られます。

これらの記憶のトラブルが、単なる「うっかり」ではなく、日常生活で困ることが増えてきた場合に、MCIの可能性を考える必要があります。

記憶以外の認知機能の変化

記憶障害が最も一般的ですが、MCIでは記憶以外の認知機能にも変化が現れることがあります。
これらの症状は、本人よりも周囲の人が気づきやすい場合があります。

  • 計画性・段取りの低下(実行機能障害): 以前はスムーズにできていた家事(料理の手順、洗濯の工程など)や趣味活動(手芸、日曜大工など)が難しくなったり、時間がかかったりします。
    旅行の計画を立てたり、複数の用事を効率的にこなしたりすることが難しくなります。
  • 注意・集中力の低下: 一つのことに集中し続けるのが難しくなったり、テレビを見ながら食事をするなど、複数のことを同時に行うと混乱したりします。
    会話中に話についていくのが難しくなることもあります。
  • 判断力の低下: 服装が季節や場に合わなくなったり、買い物の計算間違いが増えたり、不必要なものをたくさん買ったりすることがあります。
    以前よりだまされやすくなる傾向も見られることがあります。
  • 言葉の使い方の変化(言語機能障害): 物の名前が出てこなくなったり(例えば、「あれ」「それ」といった代名詞で済ませることが増える)、言葉を選びに時間がかかったり、会話の途中で言葉に詰まったりします。
  • 時間・場所の見当識障害(軽度): 今日が何月何日か、今が何時頃かといったことが曖昧になることがあります。
    よく知っている場所でも、一時的に方角が分からなくなったりすることがあります。
  • 意欲・関心の低下: 以前は好きだった趣味や活動に対して興味を示さなくなったり、外出を億劫がるようになったりします。
    何事に対しても投げやりになったり、自発的な行動が減ったりします。
  • 性格の変化: 以前よりも頑固になった、怒りっぽくなった、あるいは逆に引っ込み思案になったなど、性格が変わったように感じられることがあります。

これらの記憶以外の認知機能の変化も、MCIの初期症状として現れることがあります。
これらの症状が複合的に現れる場合もあれば、特定の症状だけが目立つ場合もあります。

症状に気づいたら

ご自身やご家族が、上記のような記憶やその他の認知機能に関する変化に気づき、「単なる加齢のせいではないかもしれない」「以前とは違う」と感じた場合は、早めに専門家へ相談することが非常に重要です。

「年のせいだから仕方ない」と安易に考えたり、恥ずかしさから受診をためらったりすると、可逆性のある原因を見逃してしまったり、認知症への進行を遅らせるための対策を講じる機会を失ってしまったりする可能性があります。

早期に専門医の診察を受けることで、症状の原因を特定し、軽度認知障害なのか、他の病気なのか、あるいは正常な加齢の範囲内なのかを適切に診断してもらうことができます。
原因に応じた適切な対応や治療を行うことで、認知機能の維持や改善につながる可能性があります。

軽度認知障害の診断と検査

軽度認知障害の診断は、問診、診察、認知機能検査、画像検査など、複数の情報を総合的に評価して行われます。
専門医による正確な診断が、適切なその後の対応につながります。

診断基準

軽度認知障害の診断は、一般的に国際的な診断基準(例:MCIに関するPetersenの診断基準など)に基づいて臨床的に行われます。
主要な診断基準のポイントは以下の通りです。

診断基準のポイント 内容
記憶または他の認知機能の低下 本人または情報提供者(家族など)から、以前に比べて記憶や他の認知機能(思考、判断、言語、視空間認知など)に低下が見られるという訴えがある。
客観的な認知機能の低下 標準化された認知機能検査で、同年代・同程度の教育歴を持つ人と比較して、一つまたは複数の認知領域で客観的な低下が認められる。
日常生活に大きな支障なし 日常生活動作(着替え、食事、入浴など)や手段的日常生活動作(買い物、料理、金銭管理、交通機関の利用など)は、基本的に自立して行えている。
認知症ではない 認知症の診断基準(DSM-5など)を満たさない。
認知機能の低下は認められるが、その程度はまだ認知症と呼べるほど重くない。

これらの基準は医師が総合的に判断するためのものであり、特定の検査の点数だけで機械的に診断されるわけではありません。
個々の状況や背景を考慮した丁寧な評価が必要です。

認知機能検査(長谷川式、MMSEなど)

認知機能の客観的な評価には、様々な心理検査が用いられます。
MCIのスクリーニング(ふるい分け)として広く用いられるのが、簡便な質問形式の検査です。

  • 長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R): 9つの質問項目(年齢、日付、場所、簡単な計算、物の名前、3つの単語を覚えて言う、逆唱、野菜の名前、5つの単語を覚えて言う)からなり、30点満点で評価します。
    20点以下の場合に認知機能低下の可能性が疑われます。
  • Mini-Mental State Examination (MMSE): 11の項目(時間、場所、記銘、注意と計算、再生、物品呼称、復唱、3段階の指示、書字、図形描写)からなり、30点満点で評価します。
    23点以下の場合に認知機能低下の可能性が疑われます。

これらの検査は短時間で行え、認知機能の全体的な状態を把握するのに役立ちますが、MCIの診断や原因の特定には限界があります。
より詳細な評価が必要な場合には、以下のような神経心理検査が行われることがあります。

  • ADAS-J cog(Alzheimer’s Disease Assessment Scale-Japanese Cognitive Subscale): アルツハイマー病の認知機能評価に特化した検査ですが、MCIの段階でも用いられることがあります。
  • WAIS(Wechsler Adult Intelligence Scale): 成人の知能を詳細に評価する検査ですが、特定の認知領域(記憶、言語、実行機能など)の障害の程度を把握するのに役立ちます。
  • 図形的な記憶を評価する検査: Rey complex figure testなど。

これらの専門的な神経心理検査は、経験を積んだ心理士によって実施されることが多く、認知機能のどの領域に、どの程度の障害があるかをより正確に把握することができます。

画像検査(MRI、CTなど)

脳の形態的な変化や病変の有無を確認するために、画像検査は重要な役割を果たします。

  • 頭部MRI (Magnetic Resonance Imaging): 脳の組織や構造を詳細に画像化できます。
    アルツハイマー病が疑われるMCIの場合、記憶を司る海馬や側頭葉の内側部分の萎縮の程度を評価できます。
    また、小さな脳梗塞や脳出血、白質の変化など、脳血管障害の病変を検出するのに優れています。
    正常圧水頭症や慢性硬膜下血腫などの可逆性のある原因を診断することも可能です。
  • 頭部CT (Computed Tomography): 短時間で手軽に行える検査です。
    脳梗塞や脳出血、脳腫瘍、慢性硬膜下血腫などを確認できます。
    MRIほど詳細ではありませんが、緊急時やMRIが難しい場合に用いられます。
  • PET (Positron Emission Tomography): 脳の代謝や特定の物質の蓄積を画像化する検査です。
    • 脳血流PET/SPECT: 脳のどの部分の血流が低下しているかを評価し、認知機能障害の原因を推定するのに役立ちます。
    • アミロイドPET: アルツハイマー病の原因となるアミロイドβの脳内蓄積を画像化できます。
      MCIの原因がアルツハイマー病である可能性が高いかどうかを判断するのに非常に有用です。
    • タウPET: アルツハイマー病の原因となるタウ蛋白の脳内蓄積を画像化できます。
      アミロイドPETと同様に、アルツハイマー病の病理を評価するのに用いられます。

これらの画像検査は、認知機能低下の原因がアルツハイマー病なのか、脳血管障害なのか、あるいはその他の原因なのかを特定する上で重要な情報を提供します。

専門医療機関での検査

軽度認知障害の診断は、単なるスクリーニング検査や画像検査の結果だけで確定するものではありません。
問診で詳細な病歴(現在の症状、発症時期、進行の仕方、既往歴、服用中の薬など)や生活状況を聞き取り、神経学的診察で体の状態を確認し、さらに各種検査の結果を総合的に判断して行われます。

この総合的な評価を行うためには、認知症に関する専門的な知識と経験を持った医師(神経内科医、精神科医、脳神経外科医など)が在籍する医療機関を受診することが推奨されます。
かかりつけ医に相談し、必要に応じて専門医へ紹介してもらうのが良いでしょう。
地域包括支援センターでも相談に乗ってもらえます。

専門医療機関では、必要に応じて以下のような検査も検討されることがあります。

  • 血液検査: ビタミンB12や葉酸の測定、甲状腺機能検査、肝機能・腎機能検査、感染症のスクリーニングなど、可逆性のある原因や併存疾患を調べるために行われます。
  • 脳脊髄液検査: 腰椎穿刺によって脳脊髄液を採取し、アミロイドβやリン酸化タウといったアルツハイマー病に関連するバイオマーカーを測定します。
    アルツハイマー病の病理を直接的に評価できる検査として注目されています。

これらの多角的な検査と専門医による総合的な評価によって、軽度認知障害の正確な診断と原因の特定が行われ、その後の適切な対応方針が決定されます。

軽度認知障害は治る?回復と認知症への進行

軽度認知障害と診断された方にとって、最も気になるのは「この状態は今後どうなるのか?」「治ることはあるのか?」という点でしょう。
MCIの予後は多様であり、全ての方が認知症に進むわけではありません。
回復する可能性もあれば、MCIの状態が続く場合、そして認知症に進む場合など、様々な経過をたどります。

回復の可能性と要因

軽度認知障害と診断された方のうち、一部は数年以内に正常な認知機能を取り戻す、すなわち回復することがあります。
回復が見られるケースには、いくつかの特徴があります。

  • 可逆性のある原因が特定された場合: 前述したような、うつ病、栄養不足(ビタミンB12、葉酸欠乏)、薬剤の影響、甲状腺機能低下症、正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫などが原因であった場合、原因疾患を治療することで認知機能が改善し、MCIの状態から回復することが期待できます。
  • MCIの中でも軽度な場合: 認知機能の低下の程度がごく軽微であったり、特定の領域に限定されていたりする場合。
  • 早期に症状に気づき、対応した場合: 症状が出始めてから比較的早い段階で医療機関を受診し、適切な診断を受け、生活習慣の改善などの対策を開始できた場合。
  • 生活習慣の改善: 運動習慣の獲得、バランスの取れた食事、禁煙、節酒、質の良い睡眠などが、認知機能の維持・向上に寄与し、回復を後押しする可能性があります。
  • 知的・社会的な活動への積極的な参加: 新しいことを学んだり、人との交流を積極的に行ったりすることで、脳が活性化され、神経ネットワークを維持・強化。
    認知予備能を高める。孤独感・社会 Isolationの解消。

回復の可能性を最大限に引き出すためには、まずMCIの原因を正確に診断することが最も重要です。
特に可逆性のある原因は、早期に治療を開始すれば症状が改善する可能性が高いため、丁寧な鑑別診断が不可欠です。

認知症への進行リスク

残念ながら、軽度認知障害と診断された多くの方は、認知症(特にアルツハイマー型認知症)へ移行するリスクが高い状態にあります。
MCIから認知症への年間移行率は、報告によって幅がありますが、概ね10%から15%程度とされています。
これは、同年代の健常者に比べて、認知症になるリスクが数倍高いことを意味します。

認知症への進行リスクを高める要因としては、以下のようなものが挙げられます。

  • MCIのタイプ: 記憶障害が主な症状である「健忘型MCI」は、非健忘型MCIに比べてアルツハイマー型認知症へ移行するリスクが高いとされています。
    複数の認知領域(記憶、実行機能、言語、視空間認知など)に障害が見られる場合も、リスクが高い傾向があります。
  • 神経心理検査の結果: 認知機能検査でより低い点数であったり、特定の領域の障害が顕著であったりする場合。
  • 画像検査の結果: MRIで海馬や側頭葉内側部に明らかな萎縮が見られる場合。
    アミロイドPET検査で脳内にアミロイドβが陽性である場合。
  • 脳脊髄液検査の結果: 脳脊髄液中のアミロイドβやリン酸化タウの濃度がアルツハイマー病を示唆する値である場合。
  • 遺伝的要因: アルツハイマー病の発症リスクを高める特定の遺伝子(例:APOE ε4アレル)を持っている場合。
    ただし、遺伝子を持っているからといって必ずしも発症するわけではありません。
  • 併存疾患: 高血圧、糖尿病、脂質異常症、心房細動などの脳血管疾患のリスク因子がある場合や、うつ病、睡眠障害などがある場合。

これらの要因は、MCIが将来的に認知症に進む可能性を予測する上で参考になりますが、あくまでリスク評価であり、個々の経過は異なります。
診断を受けた際には、担当の医師とよく相談し、ご自身の状態とリスクについて正しく理解することが大切です。

進行を遅らせるための対策

現時点では、軽度認知障害から認知症への進行を完全に止める特効薬は確立されていません。
しかし、いくつかの非薬物療法や生活習慣の改善によって、認知機能の低下を緩やかにしたり、認知症の発症を遅らせたりできる可能性が示唆されています。

対策の種類 具体的な内容 期待される効果
運動習慣 有酸素運動(ウォーキング、ジョギング、水泳など)を週に数回、30分程度行うことを目標にする。
筋力トレーニングやバランストレーニングも有効。
脳の血流改善、神経細胞の保護・再生促進、脳由来神経栄養因子(BDNF)の増加、生活習慣病の予防・改善。
バランスの取れた食事 地中海式ダイエットが注目されている。
野菜、果物、全粒穀物、魚、ナッツ類、オリーブオイルなどを積極的に摂り、赤身肉や加工食品、飽和脂肪酸、糖分の摂取を控える。
DHAやEPAなどのオメガ3脂肪酸が豊富な魚を定期的に食べる。
脳機能維持に必要な栄養素の供給、抗酸化作用、抗炎症作用、生活習慣病の予防・改善。
知的活動・社会活動 読書、書き物、計算、パズル、ゲーム、新しいスキルの習得、趣味活動、ボランティア活動、地域活動への参加など。
友人や家族との交流を積極的に行う。
脳の異なる領域を活性化し、神経ネットワークを維持・強化。
認知予備能を高める。
孤独感・社会 Isolationの解消。
睡眠の質の改善 規則正しい生活を送り、適切な睡眠時間を確保する。
寝る前にカフェインやアルコールを避け、寝室環境を整える。
睡眠時無呼吸症候群などがある場合は治療を行う。
睡眠中に脳内の老廃物(アミロイドβなど)が排出されやすくなる。
記憶の定着を促す。
生活習慣病の管理 高血圧、糖尿病、脂質異常症などは、脳血管障害のリスクを高めるだけでなく、認知機能低下にも直接的な影響を与える。
医師の指導のもと、適切に治療・管理を行う。
脳血管障害の発症予防、脳血流の維持、脳神経細胞への影響の抑制。
うつ病の治療 うつ病は認知機能低下の原因となるだけでなく、MCIから認知症への進行リスクを高める。
適切な精神科医療を受け、うつ病を治療する。
認知機能の回復(仮性認知症の場合)、MCI進行リスクの低減、生活の質の向上。
危険な薬の調整 認知機能に影響を与える可能性のある薬剤を服用している場合、医師と相談し、可能であれば代替薬に変更したり、減量したりする。 薬剤性認知機能低下の改善。
禁煙・節酒 喫煙は脳卒中や認知症のリスクを大幅に高める。
過度な飲酒も脳に悪影響を及ぼす。
禁煙し、節度ある飲酒を心がける(可能であれば禁酒)。
脳血管の健康維持、脳神経細胞の保護。

これらの対策は、MCIの原因に関わらず有効であると考えられています。
特にアルツハイマー病の病理が関与しているMCIの場合でも、これらの対策を継続することで、病気の進行を緩やかにし、認知症への移行を遅らせる効果が期待されています。
大切なのは、これらの対策を生活の一部として習慣化し、継続していくことです。
医師や専門家と相談しながら、ご自身に合った方法を見つけることが重要です。

不安を感じたら専門家へ相談を

軽度認知障害について、「原因は何だろう」「この物忘れは大丈夫だろうか」「将来認知症になるのだろうか」といった不安を感じるのは自然なことです。
インターネットや書籍で情報を得ることもできますが、個々の状況は様々であり、自己判断は危険を伴う場合があります。

ご自身やご家族が、以前と比べて記憶力やその他の認知機能の低下を感じたり、日常生活で少し困ることが増えたりしていると感じた場合は、一人で悩まずに、まずは専門家へ相談することをお勧めします。

相談できる専門家や機関には、以下のようなものがあります。

  • かかりつけ医: まずは普段から診てもらっているかかりつけ医に相談してみましょう。
    症状を伝え、必要であれば認知症の専門医療機関への紹介を依頼できます。
  • 地域包括支援センター: 高齢者の生活を支援するための地域の総合相談窓口です。
    保健師、社会福祉士、主任ケアマネジャーなどの専門職がおり、認知症に関する相談にも応じてくれます。
    適切な医療機関やサービスを紹介してもらえます。
  • もの忘れ外来/専門外来: 認知症やMCIの診断・治療を専門的に行う医療機関です。
    神経内科、精神科、脳神経外科などに設置されていることが多いです。
    精密な検査を受け、正確な診断を得ることができます。
  • 認知症サポート医: 認知症に関する研修を受けた医師で、かかりつけ医として認知症の初期診断や対応、専門医との連携などを担います。

早期に専門家へ相談することには、多くのメリットがあります。

  • 正確な診断: 症状の原因がMCIなのか、認知症なのか、あるいはうつ病や栄養不足など治療可能な他の原因なのかを、専門的な知識と検査に基づいて正確に診断してもらえます。
  • 原因の特定: MCIの原因がアルツハイマー病に関連するものなのか、脳血管性のものなのか、あるいは可逆性のあるものなのかを特定することで、今後の見通しや適切な対応策が明確になります。
  • 適切な対応策の検討: 診断結果に基づき、認知症への進行を遅らせるための生活習慣改善のアドバイスを受けたり、必要に応じて可逆性のある原因に対する治療を開始したりできます。
  • 精神的なサポート: 不安や悩みを専門家に話すことで、精神的な負担が軽減される場合があります。
    病気や状態について正しく理解し、安心して今後のことについて考えられるようになります。
  • 将来への準備: MCIの原因や進行リスクを把握することで、今後の生活や介護について、本人や家族が前向きに準備を進めることができます。

軽度認知障害は、適切な対応を早期に開始することで、その後の経過を変えられる可能性を秘めています。
「まだ大丈夫だろう」「気のせいかもしれない」と決めつけず、少しでも気になる変化があれば、勇気を出して専門家の扉を叩いてみてください。


免責事項: この記事は一般的な情報提供のみを目的としており、特定の疾患の診断や治療法を推奨するものではありません。
個々の症状や状態については、必ず医療機関で医師の診断と指導を受けてください。
この記事の情報に基づいて生じたいかなる結果についても、筆者および公開元は責任を負いません。

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